1: 海江田三郎 ★ 2017/03/11(土) 17:39:46.04
2015年に発売されたホンダの「S660」という車種をご存じだろうか。「Hondaらしい『走る喜び』の実現を目指して開発しました」
という触れ込みのこの自動車は、軽自動車ながら2シーターの本格スポーツカー。そのユニークさがウケて、大きな話題となった。
開発責任者の椋本 陵さんは、1988年生まれの現在28歳。責任者に抜擢された当時は、弱冠22歳だったという(!)。
「逆境オトコ」連載第15回は、自動車業界で働く風雲児を直撃した。
●役員への説明会でも「わかんないッスか?」
「S660」に携わったメンバーは、椋本さんだけでなく、チーム全体が“異例の若さ”だったという。
「僕は当時、和光研究所というところでデザインに携わる仕事をしていたんです。そこから新商品提案コンペで優勝して、
実際に車を開発する栃木の研究所に移ったんですね。周りに誰も知っている人もいない、
何もわからない状態で始まったんですけど、とにかくチームに恵まれた。
通常はトップダウンで『あなたはこの車を担当してください』とか言われるんですが、
『S660』に関しては『この車やりたい人、手を挙げて』という感じで、開発チームも公募制だったんです。
結果、僕だけじゃなくチーム全体が若かったんですよ。平均年齢35、36歳ぐらい。普通のおじさんだらけの
開発チームに入っていたらどうなってたんだろうなと思います(笑)」
そんなチームを、椋本さんは「団結力が“超”奇跡的だった」と振り返る。
「普通、開発チームっていうのは、開発責任者とそれを補佐する人、エンジン、ボディや色んな領域の各リーダーがいる。
それぞれ働く建物が違うのでコミュニケーションが不足することがよくあるんですよ。
だけど、この『S660』の開発チームには『ワンパックルーム』という、開発チーム専用の部屋が用意されたんです。
朝会社に来て仕事をして、昼飯も晩飯も一緒に食って…っていう生活を4年続けたのかな。毎日そんな感じなんで、
コミュニケーションがすぐにとれる。たとえば、エンジンに関するトラブルがあると、エンジン担当の部署だけが対応する、
というふうになりがちなんですが、実はエンジンだけじゃなくてボディにも影響を及ぼしていることもある。
それをすぐに共有できるから、『ボディ側ではこういう対策をする』とか、その場でパンパンパーンと決めることができたんです」
革新的な社風で知られるホンダだが、そうは言っても日本を代表する大企業。若い世代だけでの新車種開発となると、
チーム外の社員との軋轢などはなかったのだろうか?
「開発段階で、会社の役員たちに説明する『評価会』っていう、いわゆる関所みたいな会議があるんです。
そこではいろいろとマジメなツッコミが入るんですが、あえてネットスラングとかを使って『わかんないッスか?』み
たいなスタンスで臨みました。『自動車っていう乗り物がオワコンになるんですよ。だからこういうスポーツカーを出さなきゃマズイんです』とか。
今ならよう言えんです(笑)。当時36、37歳ぐらいのエンジンの開発リーダーも、
普通なら細かい技術や数値を説明するんですが、『黙って待ってろ!』って言い切りました。オレに任せろと」
かなりピリピリとした雰囲気が伝わってくる。そんな挑発的な態度をとって、上司たちからの反発はなかったのか、心配になってしまうが…。
「反発は全然なかったですね。『そうか…』みたいな感じでした(笑)。『黙ってろ』も、
言ったあとにもちろんちゃんと説明をするんですけど、一発あるとないとではだいぶ違った気がします。
『うちの会社にも面白いヤツがいるんだな』みたいなことを役員の人が言ってました」
という触れ込みのこの自動車は、軽自動車ながら2シーターの本格スポーツカー。そのユニークさがウケて、大きな話題となった。
開発責任者の椋本 陵さんは、1988年生まれの現在28歳。責任者に抜擢された当時は、弱冠22歳だったという(!)。
「逆境オトコ」連載第15回は、自動車業界で働く風雲児を直撃した。
●役員への説明会でも「わかんないッスか?」
「S660」に携わったメンバーは、椋本さんだけでなく、チーム全体が“異例の若さ”だったという。
「僕は当時、和光研究所というところでデザインに携わる仕事をしていたんです。そこから新商品提案コンペで優勝して、
実際に車を開発する栃木の研究所に移ったんですね。周りに誰も知っている人もいない、
何もわからない状態で始まったんですけど、とにかくチームに恵まれた。
通常はトップダウンで『あなたはこの車を担当してください』とか言われるんですが、
『S660』に関しては『この車やりたい人、手を挙げて』という感じで、開発チームも公募制だったんです。
結果、僕だけじゃなくチーム全体が若かったんですよ。平均年齢35、36歳ぐらい。普通のおじさんだらけの
開発チームに入っていたらどうなってたんだろうなと思います(笑)」
そんなチームを、椋本さんは「団結力が“超”奇跡的だった」と振り返る。
「普通、開発チームっていうのは、開発責任者とそれを補佐する人、エンジン、ボディや色んな領域の各リーダーがいる。
それぞれ働く建物が違うのでコミュニケーションが不足することがよくあるんですよ。
だけど、この『S660』の開発チームには『ワンパックルーム』という、開発チーム専用の部屋が用意されたんです。
朝会社に来て仕事をして、昼飯も晩飯も一緒に食って…っていう生活を4年続けたのかな。毎日そんな感じなんで、
コミュニケーションがすぐにとれる。たとえば、エンジンに関するトラブルがあると、エンジン担当の部署だけが対応する、
というふうになりがちなんですが、実はエンジンだけじゃなくてボディにも影響を及ぼしていることもある。
それをすぐに共有できるから、『ボディ側ではこういう対策をする』とか、その場でパンパンパーンと決めることができたんです」
革新的な社風で知られるホンダだが、そうは言っても日本を代表する大企業。若い世代だけでの新車種開発となると、
チーム外の社員との軋轢などはなかったのだろうか?
「開発段階で、会社の役員たちに説明する『評価会』っていう、いわゆる関所みたいな会議があるんです。
そこではいろいろとマジメなツッコミが入るんですが、あえてネットスラングとかを使って『わかんないッスか?』み
たいなスタンスで臨みました。『自動車っていう乗り物がオワコンになるんですよ。だからこういうスポーツカーを出さなきゃマズイんです』とか。
今ならよう言えんです(笑)。当時36、37歳ぐらいのエンジンの開発リーダーも、
普通なら細かい技術や数値を説明するんですが、『黙って待ってろ!』って言い切りました。オレに任せろと」
かなりピリピリとした雰囲気が伝わってくる。そんな挑発的な態度をとって、上司たちからの反発はなかったのか、心配になってしまうが…。
「反発は全然なかったですね。『そうか…』みたいな感じでした(笑)。『黙ってろ』も、
言ったあとにもちろんちゃんと説明をするんですけど、一発あるとないとではだいぶ違った気がします。
『うちの会社にも面白いヤツがいるんだな』みたいなことを役員の人が言ってました」
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