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    1: リバースネックブリーカー(東京都) 2017/04/07(金) 16:04:59.12
     1990年代から、高い経済成長を続ける中国で一旗揚げようと、国際貿易の拠点でもある巨大都市広州に渡るアフリカ人が増え始めた。
    ビジネスを始めた彼らは独自のコミュニティを作り中国に根を張るが、近年多くが非合法に滞在していると見られており、中国政府が厳しい取り締まりを行っている。
    また、市民からの差別や嫌がらせなども後を絶たないと報じられている。

    ◆強い中国とアフリカの関係が呼んだ移民
     サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙(SCMP)によれば、広州に住むアフリカ人は、
    中国とアフリカ諸国の関係を築くため2000年に始まった中国・アフリカ協力フォーラムなどがきっかけで移住してきた人々で、合法なビジネスマンだとしている。
    しかし、実際には多くの不法移民が滞在しており、その数は20万人と主張する人も中国国内にはいるという。
    広州市は、これまでその数を公表したことはない。

     デジタルニュース誌『Worldcrunch』が掲載した仏フィガロ紙の英訳記事は、
    広州のアフリカ人永住者は1万人から1万5000人、非合法で滞在する者は5万人近くだとしている。
    ウェブ誌『クオーツ』は、居住者全体で2万人から10万人ぐらいではないかと見ている。

    ◆景気低迷と厳しい政策で状況一変
     多くのアフリカ人が「アメリカンドリーム」ならぬ「チャイニーズ・ドリーム」を追って広州を目指すが、
    中国の経済成長の鈍化と、厳しい移民政策により、帰国するアフリカ人が増えつつあるという。
    工場やレストランを経営したり、安価な中国製品を母国へ輸出したりして成功した人々もいるが、
    近年は物価の上昇で利益も減少し、中国人との競争も激化しているという。
    また、2010年頃から景気の低迷に伴い、ビザも出にくくなっている。
    それでも成功を夢見て広州に来る若者もいるが、仕事を探すのは容易ではなく、数週間から数ヶ月で、アフリカに戻る者も少なくないという(フィガロ紙)。




    中国最大のアフリカ人街で移民排斥広がる 成功夢見て中国に渡る人々と恐れる現地民
    http://newsphere.jp/world-report/20170406-3/
    the-chinese-national-flag-1724256_640

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    1: スパイダージャーマン(愛知県) 2017/04/07(金) 12:41:31.30
    里見まさとさん

    英語で「戦艦大和」語り部…ザ・ぼんち

     太平洋戦争末期の1945年4月7日、沖縄への出撃途中に撃沈された戦艦大和の悲劇を広く知ってもらおうと、
    漫才コンビ「ザ・ぼんち」の里見まさとさん(64)が、英語での語り部に挑む。
    元乗組員に話を聞き、3年前から50カ所以上で演じた自作の講談を「戦争は、勝者も敗者も幸せにならないと『勝った側』にも伝えたい」と英訳。
    18日、大分県内で留学生らに披露する。「いつか沖縄の米兵にも聴いてほしい」と願う。

     戦時中に召集され、旧満州(現中国東北部)で戦闘に加わった父の体験を聞いて育ち「戦争には理性も道徳もなく、人間を変えてしまう。
    二度とやってはいけない」と考えていた。3年前、大和の元乗組員の八杉康夫さん(89)=広島県福山市=に体験を聞いた。
    「映画などでは大和もやり返し、壮絶に戦ったかのように描かれるが、実際はやられ放題。
    あっという間に撃沈され、多くの若者がオイルの海に沈んだ。3056人もの命が無駄に失われた事実にショックを受けた」

     戦争の恐ろしさを語り継ごうと、八杉さんの体験を、自身が20年以上続ける講談にまとめた。
    戦争の記憶が薄れるにつれ、大和や特攻隊にまつわる話が美談として語られることもある。
    「部下を思う上官がいたことなどは語りたいが、美談にならないよう常に自分を戒めている」と語る。

     国内で演じるうち「太平洋戦争の戦勝国側の人たちにも、戦争の悲惨さを知ってほしい」と思い立ち、英訳を友人に頼んだ。
    「英語は苦手。アウト、ストライク、ダブルプレーぐらいしか知らない」と笑うが、丸暗記して本番に臨む。
    紛争に派遣される可能性が高い、沖縄の基地に駐留する米兵にこそ聴いてほしい。
    「戦前は『米国と戦争するなんてアホや』と分かっていても、そう言えなかった。ものが言えない世の中になるのは怖い」と考えている。

     18日午後6時から、留学生が半数を占める立命館アジア太平洋大学(大分県別府市)のAPUパシフィック・カフェで
    「『戦艦大和と乗組員』語り部の会」を開く。学生以外も参加可。無料。問い合わせは同大(0977・78・1106)。【山田夢留】

    https://mainichi.jp/articles/20170407/k00/00e/040/183000c

    lgf01a201402032200

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    1: 海江田三郎 ★ 2017/03/11(土) 17:39:46.04
    2015年に発売されたホンダの「S660」という車種をご存じだろうか。「Hondaらしい『走る喜び』の実現を目指して開発しました」
    という触れ込みのこの自動車は、軽自動車ながら2シーターの本格スポーツカー。そのユニークさがウケて、大きな話題となった。

    開発責任者の椋本 陵さんは、1988年生まれの現在28歳。責任者に抜擢された当時は、弱冠22歳だったという(!)。
    「逆境オトコ」連載第15回は、自動車業界で働く風雲児を直撃した。

    ●役員への説明会でも「わかんないッスか?」
    「S660」に携わったメンバーは、椋本さんだけでなく、チーム全体が“異例の若さ”だったという。
    「僕は当時、和光研究所というところでデザインに携わる仕事をしていたんです。そこから新商品提案コンペで優勝して、
    実際に車を開発する栃木の研究所に移ったんですね。周りに誰も知っている人もいない、
    何もわからない状態で始まったんですけど、とにかくチームに恵まれた。
    通常はトップダウンで『あなたはこの車を担当してください』とか言われるんですが、
    『S660』に関しては『この車やりたい人、手を挙げて』という感じで、開発チームも公募制だったんです。
    結果、僕だけじゃなくチーム全体が若かったんですよ。平均年齢35、36歳ぐらい。普通のおじさんだらけの
    開発チームに入っていたらどうなってたんだろうなと思います(笑)」

    そんなチームを、椋本さんは「団結力が“超”奇跡的だった」と振り返る。
    「普通、開発チームっていうのは、開発責任者とそれを補佐する人、エンジン、ボディや色んな領域の各リーダーがいる。
    それぞれ働く建物が違うのでコミュニケーションが不足することがよくあるんですよ。
    だけど、この『S660』の開発チームには『ワンパックルーム』という、開発チーム専用の部屋が用意されたんです。
    朝会社に来て仕事をして、昼飯も晩飯も一緒に食って…っていう生活を4年続けたのかな。毎日そんな感じなんで、
    コミュニケーションがすぐにとれる。たとえば、エンジンに関するトラブルがあると、エンジン担当の部署だけが対応する、
    というふうになりがちなんですが、実はエンジンだけじゃなくてボディにも影響を及ぼしていることもある。
    それをすぐに共有できるから、『ボディ側ではこういう対策をする』とか、その場でパンパンパーンと決めることができたんです」

    革新的な社風で知られるホンダだが、そうは言っても日本を代表する大企業。若い世代だけでの新車種開発となると、
    チーム外の社員との軋轢などはなかったのだろうか?

    「開発段階で、会社の役員たちに説明する『評価会』っていう、いわゆる関所みたいな会議があるんです。
    そこではいろいろとマジメなツッコミが入るんですが、あえてネットスラングとかを使って『わかんないッスか?』み
    たいなスタンスで臨みました。『自動車っていう乗り物がオワコンになるんですよ。だからこういうスポーツカーを出さなきゃマズイんです』とか。
    今ならよう言えんです(笑)。当時36、37歳ぐらいのエンジンの開発リーダーも、
    普通なら細かい技術や数値を説明するんですが、『黙って待ってろ!』って言い切りました。オレに任せろと」

    かなりピリピリとした雰囲気が伝わってくる。そんな挑発的な態度をとって、上司たちからの反発はなかったのか、心配になってしまうが…。
    「反発は全然なかったですね。『そうか…』みたいな感じでした(笑)。『黙ってろ』も、
    言ったあとにもちろんちゃんと説明をするんですけど、一発あるとないとではだいぶ違った気がします。
    『うちの会社にも面白いヤツがいるんだな』みたいなことを役員の人が言ってました」

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